医療情報男の日記

病院で医療情報システムの保守運用の仕事をしていました。

【障害者雇用】在宅アーティスト社員への転職はやめて、システムエンジニアを続けます【大人のADHD】

tkt0314です。

今回は、専門の転職エージェントさんを通じて、在宅のアーティスト社員(障害者雇用)への転職を希望していたのを考え直し、今の会社でシステムエンジニアを続けることを決めた、という話です。

障害者雇用で今注目されている、アーティスト社員

今の会社(障害者雇用)で働き始め、一年が経ったある日、ネット検索していると、障害者雇用で在宅で働ける、しかも絵を描くことを仕事にできる「アーティスト求人」の転職エージェント会社のホームページを見つけました。

どうやら東京の大企業では、障害者雇用のアーティスト社員を採用し、アートの分野で障害者の社会参加を促進しようとしているらしい。

そう考えた私は、今の会社には内緒で、転職エージェント会社に登録し、アーティスト社員の求人を探すことにしたのです。

絵を描くのを仕事にできるのは魅力

幼少期から絵を描くことが好きだったのですが、大人になってからはほとんど絵を描かなくなっていました。

適応障害になった2023年から、絵を描くことが新たな趣味になりました。

現在は、絵を描くことが、精神的なリハビリにもなっています。

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水彩画教室にも通うようになりました

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人物デッサン同好会にも、ときどき参加

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デジタルイラストも勉強中

絵を描くことを仕事にできるのは、美大卒の人や、超絶画力の人など、才能のあるごく一部の人にしかできないものと思っていましたが、まさか障害者雇用で絵の仕事があるとは、思ってもみませんでした。

今の自分の画力でも、絵の仕事ができる。

それはとても魅力でした。

在宅で働けるのも魅力

障害者雇用のアーティスト社員は、在宅勤務が基本のようです。

今は妻と三匹のダックスフントと暮らしており、特に高齢のダックスの子は、そろそろ本格的な介護が始まりそうです。

そんななかで在宅勤務ができれば、犬たちの様子を見ながら仕事ができます。(もちろん仕事に集中するのが前提ですが・・・)

また、自分の障害特性からみても、在宅勤務で人に会わずに働くほうが、注意散漫にならずにすむのでは、と思いました。

東京の大企業なのも魅力

障害者雇用のアーティスト社員は、ダイバーシティを推進したい東京の大企業にとっては、メリットの大きい雇用形態です。

障害者本人は在宅勤務なので、合理的配慮もしやすい。

清掃や介護の案件とちがい、離職率が少なく、法定雇用率を維持しやすい。

体力に余裕のある東京の大企業が、そういった点に着目し、アーティスト社員を増やしているのだと思います。

障害者当事者としても、東京の大企業の一員になれるので、悪い話ではないはずです。

「目先の老犬介護のしやすさ」で在宅を考えていた

在宅勤務を魅力に感じたのは、自身の障害特性のこともあったのですが、老犬介護も大きな理由のひとつでした。

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18歳と17歳のダックス いつ介護が必要になるかわかりません

今はまだ歩けるしご飯も自分で食べられるのですが、それらが自力でできなくなったら、いよいよ本格的な介護が始まります。

老犬用のサークルに入れる。
オムツを常時つけさせる。
流動食を、注射器で与える。
点滴注射をする。

こうした介護でも、私が在宅勤務であれば対応しやすいです。

そうした手厚い介護をしてやることが、飼い主としての責任だと思うようになり、YouTubeで老犬介護動画を見漁り、「一日でも長く延命させるぞ」という気持ちを強めていきました。

ただ一方で、人間が職業を変えてまで老犬介護を手厚くするのが、本当に妥当な判断なのか、悩んでいました。

転職について、両親に相談

何度かアーティスト社員の面接をしていくなか、「本当にアーティスト社員がやりたいのか」を何度も自問自答するようになりました。

在宅勤務になったら、老犬介護がしやすくなる。でも本当にそれでいいのか・・・?

迷った私は、両親に転職を相談することにしました。

両親と会話していくなかで、私の考えも変わりました。

  • 点滴までして延命させるのが、本当にその子のためなのか

  • 自分でご飯を食べられなくなったら、あとは自然に任せるべきなのでは

  • 老犬介護が終わった後、そのまま非正規のアーティスト社員を続けていて良いのか

  • 今の会社で一年以上働けているなら、正社員登用の可能性もあるのではないか

  • 今の会社で働きながらでも、絵を描くことを仕事にできるはず

色々と悩んだあげく、アーティスト社員への転職はやめ、今の会社を続けることに決めました。

今のSEの仕事は好きだし、人間関係も良好

これまで10年近くシステムエンジニアを続けていたため、今の会社でも、それなりに仕事を与えてもらっています。

Javaの内製システムのメンテナンス、ClassicASPのメンテナンス、Accessツールのメンテナンス、PCのキッティング、会議の議事録、etc・・・

私のADHDの特性としても、決まりきった業務をずっと続けるより、いろんな業務を短い期間で転々とするほうが合っています。

それに時代はAI。

会社で契約している法人向けGoogle WorkSpaceのライセンスを与えてもらったおかげで、会議の議事録をNotebookLMで簡単に作成できるようになりました。(議事録は企業機密情報なので、Googleに学習させない条件下で利用する必要があります)

会社の経営層も、法人向けGeminiを利活用し、業績をあげるための戦略を練っていたりします。

シンギュラリティ(技術的特異点)、といったら大袈裟かもしれませんが、新しい技術によって世の中が変化していく様子を見るのは、技術者の端くれとしては非常にワクワクします。

今の会社が、AIによってこれからどんなふうに変わっていくのか、間近で見ていたい気持ちもあります。

それになにより、人間関係が良好です。

ADHDと統合失調感情障害という、ふたつの障害があるにも関わらず、ちゃんと仕事も与えてもらえているし、良い意味でフラットに接してくれます。

通勤もラクだし、会社の周辺環境も気に入っている

通勤に関しても、市電と徒歩で片道30分以内、という好条件です。

最近、会社の近所で、相性の良い理髪店と、ヘッドスパサロンを見つけました。会社帰りに予約して立ち寄れば、土日に出向く必要がなくなります。

会社の近くのコンビニでは、絵の上手い店員さんがボードに絵を描いてくれるので、それも見に行くのも楽しみのひとつです。

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スピキ テンインサンニシャシントッテイイトキョカモラエタヌンデ

SEを続けながらでも、絵を仕事にできる

最近になって、個人事業主の屋号を変え、イラストレーターらしい名前にしました。(以前から個人事業主として開業届けを出していて、そのときはガンプラ完成品販売でした)

クラウドソーシングやストックイラストの案件がたくさんあるので、今のシステムエンジニアを続けながらでも、何らかの絵の仕事はできます。

ごくたまにですが、VTuberアカウントのほうでSkeb依頼をいただくこともあります。

システムエンジニアの仕事も好きだし、絵の仕事も同じくらい好きなので、「どうせなら両方やったらいい」となったわけです。

後悔のない老犬介護などない

こうして、会社勤めを続けることに決めたわけですが、妻も会社勤めの身分です。

そうなると、どうしても平日の日中は、老犬介護が難しくなります。

近くに住む両親を頼ってもよいのですが、両親も高齢だし、平日の日中ずっとみてもらうわけにもいきません。

老犬用のデイケアなどの介護サービスも、なかなか近所になく、事業者の数も多いとは言えません。

老犬介護は初めての経験ですが、おそらく、「ここまでやったら完璧」という正解はないのだと思います。

この先も、いろんな場面で決断を迫られるはずです。しかし、どんな決断をしても、結局は、「違う選択肢を選んでいれば・・・」と後悔の念がまとわりつきます。

それに、老犬を看取ったあと、きっと「もっとあのときこうしてあげれば良かった」「ここまでの延命が果たしてこの子のためになったのか」と思い悩むことになるでしょう。

どうしたって最後は命が尽きるわけなので、それはもうどうしようもないことです。

とにかく今は、なるべくこの子が快適に余生を過ごすためにどうしたら良いか、夫婦でよく話し合って決めていきます。

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32歳で医療系SEという天職を見つけたが42歳で挫折し別業界で障害者雇用パートになった話

今週のお題「新!」

 

tkt0314です。

実に5年3ヶ月ぶりの更新です。

 

実は42歳のとき、ADHDと統合失調感情障害と診断され、45歳の現在は障害者雇用のパートで働いています。

 

今回は、32歳でようやく見つけた「医療系SE」という天職を失い、42歳で診断されたADHDと統合失調感情障害を受け入れ、44歳で障害者雇用のパートタイム職で再就職するまでの話です。

 

職を転々としていた20代

 

私のキャリアのスタートは眼科でした。視能訓練士という国家資格があるのですが、この国家資格を得るために四年制の私立大学で勉強し、22歳の卒業と同時に就職。2003年当時はまだ就職氷河期の只中でしたが、医療系の国家資格は強かったようです。

しかし、地元の眼科クリニックで働くなか、私は毎日同じ仕事の繰り返しですっかりモチベーションが下がってしまいました。

高校生時代にやりたい仕事が無かった私は、ただなんとなく就職しやすそうだという理由で視能訓練士を目指すことにしました。今にして思えば、医療系の国家資格ならなんでも良かったのかもしれません。そんな動機だったせいか、就職してからも自分の仕事にやりがいを見いだせず、ただ同じ毎日を繰り返してはため息をついていました。

 

「僕は一生この仕事でいいんだろうか・・・」

 

2000年代前半は、ネットが加速度的に家庭に普及した時期でした。私もネットの世界にどっぷりハマり、2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)や個人ホームページ、ブログを読み漁っていました。そんなネットの世界では、プログラマやシステムエンジニアの人達の声が強く、存在感を発揮していました。

その人たちに影響された私は、「プログラマかシステムエンジニアになりたい!」と思い立ち、手始めに「初級システムアドミニストレータ」(今で言うITパスポート試験)を受験。三ヶ月の計画的な勉強の成果もあって一発で合格!

医療業界で働いてるんなら、医療系のIT職に行くのが良いのでは・・・という思いもあって、次に目標とした資格は「医療情報技師」「診療情報管理士」でした。

 

そして、一念発起し、東京でプログラミングスクールに通いながらIT職を探すことにしました。

しかし、スクールで選択した言語「Java」は、当時の私にとっては難解すぎました。

そして何より、プログラミングが好きになれなかったのです。

そんな状態でもなんとか、医療系のシステム企業に就職できました。ただその会社で使っていた言語は「C++」。Javaで挫折した私が太刀打ちできる言語ではありませんでした。結局、「コイツは使い物にならん」と試用期間でクビ・・・。

 

すっかり意気消沈した私は、地元に戻り、視能訓練士を続けました。

そんななかでも、医療情報技師の資格を取得し、診療情報管理士は2年の通信教育を修了して受験資格を得ることができ、年に一回の試験でしたが、どうにか一発で合格できました。

 

「プログラマやシステムエンジニアは無理だったけど、診療情報管理士だったら、今の視能訓練士よりも好きになれるかもしれない」

 

そう思った私は、期間雇用非正規でしたが、総合病院の診療情報管理士に転職しました。しかしそれも、結局2か月で終わることになりました・・・。

女性だけの職場に男性は私だけで孤立ぎみだったし、何より事務作業が壊滅的に覚えが悪かったのです。今にして思えばADHDの特性と相性が悪すぎたのかも知れませんね・・・。ある日上司に別室に呼び出され、「たぶんあなたには他の仕事のほうが向いている」とやんわりと戦力外通告を受けました。2年間も準備して取得した診療情報管理士でしたが、たった2ヶ月で道を断たれることとなりました。

 

その後は日雇い派遣で食いつないだり、インターネットの訪問設定、コールセンターの派遣、健診センターの事務員(懲りずにまた事務職に入りました)、家電量販店のインターネット加入促進営業など、仕事を転々としました。

 

 

32歳でやっとつかんだ天職

 

そうこうしているうちに20代が過ぎ、私は32歳になっていました。

 

「さすがにバイトや派遣を転々としすぎた・・・いいかげん正社員にならないと」

 

そうして就職活動をしているなか、「客先常駐の院内システムエンジニア募集」という人材派遣会社の求人を見つけたのです。「いちどは挫折したシステムエンジニアだけど、地元でこんな求人は二度とないかもしれない・・・また挑戦してみよう!」と応募。面接では、転職回数の多さに閉口されたものの、初級システムアドミニストレータ、医療情報技師、診療情報管理士の資格のおかげで、どうにか採用となりました。

 

2014年4月1日、私は地元の総合病院に、院内SEとして常駐をはじめました。奇しくもそこは、母が私を出産したときに入院していた総合病院。「僕はここの産婦人科で生まれたのか・・・」となんだか妙に親近感がわきました。

この最初の常駐先は忙しかったのですが、同じ会社から常駐している先輩たちや、病院の事務職員さん達、医療従事者のみなさんとの人間関係は良好でしたし、なにより本当に仕事が楽しかった。

電子カルテ、医事会計システム、医療部門システム、院内独自開発システムと、扱うシステムは多かったものの、これまで勉強してきた医療の知識、情報処理の知識が活かせたし、休日に勉強していたおかげで、「基本情報技術者試験」も取得できました。

 

今の妻と出会えたのも、ここの病院でした。

 

この仕事は自分にとって天職だ。心の底からそう思っていました。

この最初の常駐先での約三年は、社会人生活20年数年のなかで最も充実した時期でしたね。

 

 

勤続8年目の2022年、適応障害を発症

 

その8年後の2022年12月、常駐先の当時の病院に向かう車の中で突然、過呼吸、流涙、手足の震えが出て、なんとか病院に着いたものの、全身は冷や汗でぐっしょり・・・。どうにか午前中は仕事(当時は会計窓口)ができたのですが、さすがにこれは限界だと感じ、午後になって早退。

その日から仕事に行けなくなり、数日後に受診した心療内科での診断は「適応障害」。診断書を会社に提出し、傷病手当金をもらいながら数か月の自宅療養となったわけです。

 

適応障害になるまでは、紆余曲折ありました。

 

最初の常駐先のあと、総合病院に一年、電子カルテベンダーに二年、その後は欠員補充のために数か月ごとに色んな病院を転々としていました。そうこうしているうちに、医療事務の応援もすることになりました。

会社にはシステムエンジニア派遣と、医療事務派遣の二つの部門があって、後者の部門は慢性的に人手不足の状態。当時は係長という役職も与えられていたこともあって、「部門は違えど、ここは会社のために頑張らないと!」と医療事務部門も手伝うことにしたのです。

しかし、ここが落とし穴でした・・・。

そう、私は壊滅的に事務仕事が苦手なのです・・・。

 

医療事務部門の応援として向かった先は、総合病院の夜間事務。

18時以降に医療費の支払いに来た患者さんの窓口会計をしたり、夜の間に亡くなった患者さんの死亡診断書を処理したりと、色々な仕事がありました。

しかし、患者さんの支払明細書を渡し忘れたり、医師の死亡診断書の記入間違いを見過ごしたりと、ミスを連発。

夜間事務は一人現場でミスに気付く人もいないため、他の人が気付いた時にはもう私は帰宅途中、みたいなケースが多かったですね・・・。

夜間事務の人員補充ができたため、今後は別の現場へ。今度は、高速道路を使っても一時間半かかる遠方の病院の、会計窓口でした。

やはりここでもミスを連発。お金の扱いは、私にとっては特に相性最悪でした。

医療事務の仕事が合わず疲弊していくなか、朝と帰りの長距離運転でさらに疲弊するという悪循環が続きました。気がついたら酒の量も増え、何年も禁煙していた喫煙も再開していました。

そんな日が続くなか、とうとう適応障害となったわけです。

 

リワーク施設に通うも、会社が復職を認めず退職

 

休職中、復職支援施設(リワーク施設)の新聞チラシをみつけ、面談、見学ののち、通所することに。

数か月の通所のなかで、自己分析、心理療法、マインドフルネス、コミュニケーションスキルなど、様々なカリキュラムを受講し、徐々に精神不調も回復してきました。

適応障害発症から半年後、心療内科の先生からも復職可能の診断書をもらい、リワーク職員さんからも復職可能のお墨付きをもらい、職員さん同伴のもと満を持して会社面談へ。

しかし、そこで会社側から言われたのは、

「リワークで自己分析したようだが、この、臨機応変が苦手、マルチタスクが苦手、環境の変化に弱い、という点は、業務遂行に支障をきたす。これでは復職させられない」

というものでした。

本来の休職理由である精神的不調は回復していて、主治医から復職可能の診断書もあったにも関わらず、会社は業務上のスキル不足を理由に復職を認めなかったのです。

今にして思えば、常駐先を数か月ごとに転々とする働き方は、自覚していないだけで、私にとっては実は相当なストレスで、それでじわじわと精神力を削られていったのでしょうね。

 

 

発達障害と統合失調感情障害の診断

 

結局、会社は「自己都合退職」という扱いで辞めることになりました。休職期間を使い切って退職する場合は、自己都合退職という規則だったためです。

 

「今は、家で朝から酒と煙草に依存し、ずっと引きこもってます」

「いいなー、変わってくれよ」

退職日、会社で上司と面談したときの会話です。

九年も一緒に仕事した上司との最後の会話がこれか・・・と悲しい気持ちになりましたね。長年の私のミスの事後処理に、よっぽどうんざりしていたのでしょう。

 

退職後、さらに追い打ちをかけるように、発達障害の診断、統合失調感情障害の診断も追加されました。主治医が復職可能の診断書を書いたにも関わらず会社が復職を認めなかったことで、さすがの私も「これはなにか別の病気もあるのかもしれない・・・」と思い、精神科総合病院で発達障害の検査をしたのです。

そこで出た診断は、

「多動性障害」「広汎性発達障害の疑い」「妄想性パーソナリティ障害」の診断。

 

発達障害は予想していましたが、妄想性パーソナリティ障害の疑いのほうはまったく予想外でした。

その後、新しく開業する心療内科があったので、そちらに転院し、そこの先生からの診断が、「統合失調感情障害」でした。

統合失調感情障害は、統合失調症と双極性障害を組み合わせたような病状です。

発達障害の診察の際、母も同席し、幼少期から現在までのエピソードを話したのですが、そのなかには、統合失調症の被害妄想、双極性障害の躁状態、鬱状態が含まれていたようです。

 

 

就労移行支援事業所の通所ののち再就職

 

リワーク施設は退所し、再就職の活動もできるはずもなく、退職後の数か月間は、ただただ途方に暮れていました。

 

「僕は会社のために頑張ってきたつもりだったけど、会社にとってはずっと厄介者だったんだな・・・」と。

 

悪いことが続きましたが、朗報もありました。タイミングの良いことに、徒歩圏内に、業界最大手の就労移行支援事業所の支所が開設されたのです。

ここで一年の通所訓練をしていくなか、徐々に精神状態が回復し、就職活動できるようになりました。ついでに禁煙も成功。

その間に、精神障害者保健福祉手帳三級を取得、障害厚生年金三級の認可も受けました。

 

再就職に向かうまで一年もかかったのか、と思われるかもしれませんが、10年近く在籍した会社から見捨てられたこと、40を過ぎて隠れていた発達障害と精神疾患が見つかったこと、そして実は障害特性のために他の人より上手くできないことがたくさんあったこと、それらを受け入れるのには、やはり一年は必要でした。(いまでも受け入れたとはいいがたいですが・・・)

 

何度かの求人応募ののち採用されたのは、地元の製造業の社内SEで、障害者雇用のパートタイム職でした。

医療業界ではないものの、社内SEは院内SEと業務内容は似ていて、システム運用保守、トラブル対応、PC設置設定、マスタメンテナンス、内製システムの開発改修などは共通していました。

業務内容は慣れ親しんだものだったし、今度の職場は、私の障害特性である、臨機応変が苦手、マルチタスクが苦手、想定外の出来事に弱い、などをあらかじめ伝えていますし、またそれに対して配慮が得られているため、とても働きやすいです。

そして皮肉にも、今はJava言語で作られた内製システムの保守をやっています。いちどは挫折したJavaですが、これまでのSE経験があったおかけが、当時よりもすんなり馴染むことができました。もちろん内製システムの設計が優秀だったというのもあります。

また、ありがたいことに職場の人間関係も良好です。

この記事を書いている時点で、勤務一年二ヶ月を達成したところです。

医療系SEに未練がないわけではありませんが、この地方都市では滅多に求人がないこと、ましてや障害者雇用枠では皆無なため、なるべく考えないようにしています。

それに45歳のADHD、統合失調感情障害で転職13回以上の人材では、医療系SEではないにしても転職活動は相当厳しいものになるでしょう。

 

 

現在の生活

 

勤続一年経った今になって、両親からは「そろそろ正社員になれそうか?」とよく聞かれるようになりました。

ただ、今は週5日の一日6時間勤務が精いっぱいで、とてもまだフルタイム勤務できる体力気力はありません。正社員を目指すべきなのでしょうが、三ヶ月ほど8時間フルタイムにしてみたところ、あまりにも疲れがひどく、また6時間勤務に戻してもらった経緯があります。現状ではまだ6時間勤務が限界でした。

夕方4時に退社し、日が沈む前に犬達の散歩、そのあと妻と私の晩ごはんを作るという今のルーチンも大事です。

いちばん上の17歳のダックスフントの子はかなり老衰しており、こうやって三匹並んで歩けるのも、もう長くありません。大袈裟かも知れませんが、子供の居ない私たち夫婦にとっては子供同然の存在で、この子たちとの生活は何物にも代えがたいです。

 

妻と私の夕食を、ゆっくり時間をかけて丁寧に作るというのが、私にとって精神療法的な効果もあります。

 

前職の正社員時代は、年収400万以上ありましたが、今の年収は120万ほどで、当時の三分の一以下になりました。

ただ、障害厚生年金三級で年間60万の給付があることや、路面電車半額、NTTドコモの通信料割引、美術館等の入館料割引などといった障害者手帳の制度も利用させてもらっていて、思っていたより生活の質は下がりませんでした。

そうは言っても、妻の収入に頼りきりになっている現状も申し訳ない。

せめて、障害者雇用パートの収入と障害厚生年金以外の、第三の柱となる収入がほしいところです。

 

新しく副業を始めます

 

そこで私は、趣味と実用を兼ねた副業を始めることにしました。

 

ひとつは、ガンプラを塗装してフリマアプリやオークションサイトで売ること。

実は適応障害になる以前からガンプラは趣味の一環でして、塗装したガンプラをときどき売りに出していました。

ただ戦略を誤ると、こういったように11円しか値がつかない事態も・・・。迷彩塗装けっこう頑張ったのに・・・!

 

もうひとつは、イラストレーター業

受注型案件や、ストックイラストの販売、オリジナルイラストのグッズ展開などで小銭を稼ぎたいところです。

たとえば最近描いたこのイラスト、Tシャツやパーカーの前面にあると、ちょっとオシャレじゃないですか・・・?(45歳おじさん基準ですが)

 

AI生成イラストが市場を席捲している現在、私の画力でどこまで通用するか分かりません。

ですが私自身、絵を描くことが好きなので、こちらも趣味と実用を兼ねて、楽しむことを第一に考えていきたいと思います。

 

 

最後に

 

「医療情報男」という肩書はもうなくなってしまいましたが、今はどうにか目の前の仕事をこなし、障害と向き合って日々生活しています。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

2年9ヶ月の電子カルテベンダー常駐が終わり、年明けから新しい常駐先になります

2018年3月から、電子カルテベンダーに派遣として常駐していました。

しかし、この12月で自社との契約が終了し、正社員のSEさん2名だけとなります。

導入案件が頻繁にあった数年前は、派遣要員が3名のときもありました。ですが、コロナの影響か、この1年は電子カルテの導入案件が全くなく、既存の電子カルテのお客さんからの問い合わせに対応する保守案件ばかりでした。年の後半は仕事がほとんどなく、いつも定時にあがれる状況でした。そんな状況ですので、契約更新してもらえなかったのも仕方のないことでした・・・。

 

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巧妙化する医療機関へのサイバー攻撃

マイナビニュースさんの記事で、興味深い記事がありました。

人口500万人のフィンランドで、その1%にあたる5万人の診療情報がハッキングを受けていたということです。

 

news.mynavi.jp

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phaさん、レンタルなんもしない人さんから多様性を学び、フミコフミオさんからリーマン哲学を学ぶ

最近、phaさんの著書「ひきこもらない」と、レンタルなんもしない人さんの著書「レンタルなんもしない人というサービスをはじめます」を立て続けに読みました。

 

お二人とも、最初はサラリーマンでしたが、途中で脱サラして、それぞれの思うかたちで社会と関わるお仕事をされています。

phaさんは、会社に属さず、フリーのブロガー兼ライターとして、レンタルなんもしない人さん(長いので、以後はレンタルさんとしますw)は、文字とおり「なんもしない」ことをサービスとして、それぞれ生計を立てられているそうです。

 

脱サラして農業、脱サラして飲食店、というパターンはよく見聞きしますが、このお二人のような脱サラは、かなり極端な事例だと思います。

phaさんは、ブログで人気が出て、執筆活動で成功。

レンタルさんは、自分自身を貸し出しつつ、基本スタンスは「なんもしない」という特異なサービスを提供し、依頼主から報酬を得ています。

このお二人のようなな脱サラは、それぞれの著書を読んでいると、すごく理想的にも思えます。

しかしそれは、どちらも難関国立大学を卒業していて、ずば抜けて地頭が良い人達だからこそで、とても普通の人が真似できるとは思えません。

著書では、自分自身のことを「何もスキルがない」「社会に馴染めない」と卑下していますが、とんでもない誤解です。お二人の著書を読んで「俺も脱サラして、自由な生き方を謳歌するぞ!」と影響を受けた人がいたら、ちょっと待ってほしい。

考えてもみてください。本当に「何もスキルがない」「社会に馴染めない」人が、脱サラして好きな働き方を選んで、著書を何冊も出せるようになれたと思いますか?

phaさんはブログ、レンタルさんはTwitterを通じて、お仕事を得ています。今でこそインターネット経由でできる仕事はメジャーですが、逆に今はライバルも多いはず。ここまでの成果を出すには、相当に突出した才能がないとできないことです。

 

そして、脱サラしたお二人と同じく天才的ライターでありながら、あえてサラリーマンを続けているネット著名人がいます。

それが、フミコフミオさんです。

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このターンエーガンダムのようでちょっと違うアイコン、はてな市民なら知らない人はいないと言っていいでしょう。

この人も、その気になればブログやライターだけでも食べていけるくらいの文才ある人ですが、あえて会社員を続けています。それは著書である「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。 」とい超絶長いタイトルから分かる通り、会社員に嫌気がさして脱サラしたいわけではないようです。

phaさんやレンタルさんはサラリーマン時代の話は少ないのですが、フミコフミオさんは記事の多くが会社のことや食品業界のことです。同じサラリーマンとしては、フミコフミオさんの記事のほうが読んでいて共感できることが多いのが事実です。「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。 」の出版に関しては、当時いろんなネット記事に露出されていました。さすが営業職、宣伝活動がうまい。そしてこの本でいったいどのくらい印税がもらえたんだろ・・・。

 

phaさんとレンタルさんからは、ネットさえあれば自由に働ける、多様な生き方を学び、フミコフミオさんからは、サラリーマンを続けながらネットで第二の収入源とする生き方を学ばせてもらいました。

 

 

ひきこもらない

ひきこもらない

  • 作者:pha
  • 発売日: 2017/06/22
  • メディア: 単行本